「僕が必ず君を守るよ」

STAGEツアーが終わりました。まずは、感想よりもなによりも、感情の話をしたいと思います。

初日を迎えてからずっと、ラブレターを書きたくて仕方なかった。感謝を伝えたいと思った。ずっと幸せだった。その話です。

 

これまでいろんなことがありました。

それについて、わたしはやっぱり肯定できないと思う。しんどかったし。辛かったし。直視できなかったし、応援したいのにできなかったし。自担頑張ってるのに、それを肯定できない自分も苦しかったし申し訳ないって思ったし。その、複雑なきもち、辛かったきもちはずっと、ずーーーーーっと忘れられない。

 

だけど、それでも、しがみついててよかったって思える五周年がありました。そんな五周年をくれたのは、他の誰でもない五人でした。

 

あのとき。どんな気持ちで笑ってるんだろう、って思ってました。それできっと苦しんでるんだろうな、ってことも込みでまた苦しかった。私は、彼らに苦しめられたとは思っていなくて、謝ってほしいとも思ってない。我々を苦しめたのはその"状況"そのものだと思うので。だからこそ、きっとその状況下でもがいてる彼らが正解を知ってるかな、信じられてるかな、ってことがずっと気になっていました。カラアイが出て、状況が変わっていって、あくまでもナチュラルに振る舞う彼らがスマートで、おぉ、と逆に面食らってしまうくらいだったことも覚えてる。でも、今回のツアーで改めて思えました。きっとあの状況の中でそれを何とかしようって、ちゃんと意志を持ってたんじゃないかって。あの頃も五人でいる時が1番いい顔だったから、それは何となくわかっていたけれど、何よりも、レーザーマリオネットの演出でそれを実感しました。僕らは操り人形じゃない、糸をなんとかして引きちぎろうとする。そして始まるKQJ。KQJには二つの全く違う色の思い出があって、ひとつはセクセカ初日で初めて聴いた時とMV初めて見た時の、同じ衣装だ!五人だ!嬉しい!ハッピー!の気持ち。嬉しかった。幸せで泣けた。もうひとつが、たまアリの最後の一曲だったときの気持ち。あのとき、最後の公演だけ、聡マリがやっと真ん中のステージに上がってくれて、五人で歌って。ただ、あの場面で、あの時の流れの中で、きっとこれ五人のセクシーゾーンの最後の姿なんだってあの時強く強く思いました。だから、何があっても目に焼き付けるぞって、涙で前が見えなくても、ただ前を見続けた。その姿を刻みつけた。あのとき、それを前から見てたか、後ろから見てたか、とかもう何にも覚えてないんですけど、とにかくもうこれが最後なんだと思ったこと。めちゃくちゃに泣いたこと。それは覚えてる。そんな強烈な記憶のあるKQJの前にあのマリオネットをやってくれたので、ちゃんとあのときだって意思はあったんだ、わかってたんだ、って思えました。

 

だからこそ、「ありがとう、ただありがとう」で毎回泣いてしまうんです。今の感情ってそれしかないんですよね。本当に。素敵な景色を見せてくれてありがとう。五人を守ってくれてありがとう。五人でいようとしてくれてありがとう。五人のSexy Zoneが今あるのは、なによりも彼らが五人である、ということを疑わなかったからだと思う。彼らが常に、「自分たちは五人だ」って思いを抱いてくれていたからだと思うし、あの先にあった、みんなでの未来を信じてくれてたからだと思う。それは、当時からずっと、切実に伝え続けてくれていたこと。他の誰でもない、五人の彼らを守ったのは彼ら自身。そのことで、私は幸せになれる。だから、ありがとうって感情でいっぱいになります。守ってくれてありがとう。幸せそうに笑ってくれてありがとう。君たちの幸せそうな姿を、みたかった。それがなにより幸せなんです。耐えて、守って、苦しんで、私達より本人たちの方がもっともっとしんどいものだったと思うから。たくさん笑って、あの頃のことをちゃんと言葉にできる今が彼らにあってよかったなあと心から思います。

 

第1章、思いもよらぬ筋書きで、ページをめくるのも躊躇した時期があったことは事実だけれど、やっと、完結したそこは充足感と多幸感であふれています。第2章、てっぺんを目指す冒険の物語。もう辛いことはなくてもいいし、それをどんな距離で読み進めるのか私もわかっていないけど、きっと、それが完結する時の景色はめちゃくちゃに綺麗なんでしょう。いったい、どれくらいの分厚さなんだろう。まずは、1ページ目をめくるところから、また始めたいと思います。

 

2016年に放置してたこと

どうしても年明けた実感がなくて、年明けてからもいつも通りの24時間ももう3回目を過ぎようとしていることにめちゃくちゃ違和感があります。というわけで、2016年に放置してきてしまった現場のダイジェスト的感想とか、諸々まとめです。

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夏を知ること、恋を知ること。

何もかもが順風満帆なように見えるし、KAT-TUNは一度航海を止めて考えるチャンスをくれないし、こうなると本当に言葉に残すことがないなあと思いながらもう数ヶ月経ってしまった。

 

時かけの風磨くんは、浮遊感がある。

それははじめ、違和感だった。なんか...掴めない。深町翔平くんが。なんでだろうって考える。とても子供なような、時々大人のような。未羽がタイムリープできるって話になったときには隠すことなくヤバイよって顔する割に、そのリスクを真剣に説明する。恋に興味があるとぼんやり思い始めたと思ったらもう本を読んで真面目に勉強し、実践してる。男らしい告白なんかしちゃったりする。スイカのことを子供みたいに気に入って、かき氷が好き。お母さん(設定)とキスしたいなんてまだこちらの常識とは外れたことを言い出すくせに、僕のジュリエットになって下さいなんて響く告白ができる。ううん、わからない。ぼんやりとした形しか見えない。これは、この時代の誰でもない、何でもない、という存在をあえてこうして作ってるんだろうか。小説で言うところの「ぼんやり」設定に当てはまるのだろうか、と勘ぐりつつみてる。

 

ドラマ全体は、教室のテンプレ×人間関係のテンプレがあって安心する。

元気系女子、お色気系女子、お嬢様系女子。ガリ勉男子、さわやかスポーツマン。クラス内での役の重みで変わってくるのはわかるけど、基本的なカーストは埋まる。登場人物は出揃ってる。その中にいる深町くんもまた、浮遊してどこにも属しそうにない。また浮遊感だ。ただ教室の端から空間を眺めている。

 

誰にでもありそうな青春に見えて、実はどこにもない、「青春」の虚像。これを見た人は皆、人それぞれの記憶のかけらと結びつく、虚像のピンポイントな部分を拾うことで青春を感じる。こう考えると、またこれも稀有なドラマのように思えてくる。

さよなら20歳ーアイコンにまつわる諸々

 

 

 

たくさんのことを吸収し、経験したであろう20歳を終える風磨くん。

グループ全体に春の兆しが見え始めた中で、デビュー以来4年間みてきた風磨くんの好きな場面、好きなお仕事を時系列で整理したくて、その日に向けて2年ぶりに試みたアイコンでのカウントダウン、個人的な備忘録です。

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