夏を知ること、恋を知ること。

何もかもが順風満帆なように見えるし、KAT-TUNは一度航海を止めて考えるチャンスをくれないし、こうなると本当に言葉に残すことがないなあと思いながらもう数ヶ月経ってしまった。

 

時かけの風磨くんは、浮遊感がある。

それははじめ、違和感だった。なんか...掴めない。深町翔平くんが。なんでだろうって考える。とても子供なような、時々大人のような。未羽がタイムリープできるって話になったときには隠すことなくヤバイよって顔する割に、そのリスクを真剣に説明する。恋に興味があるとぼんやり思い始めたと思ったらもう本を読んで真面目に勉強し、実践してる。男らしい告白なんかしちゃったりする。スイカのことを子供みたいに気に入って、かき氷が好き。お母さん(設定)とキスしたいなんてまだこちらの常識とは外れたことを言い出すくせに、僕のジュリエットになって下さいなんて響く告白ができる。ううん、わからない。ぼんやりとした形しか見えない。これは、この時代の誰でもない、何でもない、という存在をあえてこうして作ってるんだろうか。小説で言うところの「ぼんやり」設定に当てはまるのだろうか、と勘ぐりつつみてる。

 

ドラマ全体は、教室のテンプレ×人間関係のテンプレがあって安心する。

元気系女子、お色気系女子、お嬢様系女子。ガリ勉男子、さわやかスポーツマン。クラス内での役の重みで変わってくるのはわかるけど、基本的なカーストは埋まる。登場人物は出揃ってる。その中にいる深町くんもまた、浮遊してどこにも属しそうにない。また浮遊感だ。ただ教室の端から空間を眺めている。

 

誰にでもありそうな青春に見えて、実はどこにもない、「青春」の虚像。これを見た人は皆、人それぞれの記憶のかけらと結びつく、虚像のピンポイントな部分を拾うことで青春を感じる。こう考えると、またこれも稀有なドラマのように思えてくる。