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カラフルなはなし

SZ MURMUR
カラフルeyesが発売され早ひと月が経ったようです。
店頭に並ぶ五人が嬉しくて嬉しくてしょうがない。と同時に、どこか冷静に、冷めた感覚で受け止めてた自分もいた。いろんな気持ちが混ざってマーブル、良くも悪くもカラフルな感情たち。それに自分自身がどうも困惑してしまって、うまく言葉にもならなかったんだけど、なんとなくその困惑の正体が見えてきたような気がする。
ひとつは、生で見てないこと。まだ実際に五人が横並びしてるのを目にしたわけではないのは大きいかもしれない。セクセカの時、名古屋初日、五人が同じところからSexy Zoneとして飛び出してきた時の光景が今でも忘れられないくらい嬉しかったから、逆にまだ見てないことに何も言えないのかもしれないと思う。
次に、これが本来あるべき姿でしかないということ。散々3人体制にあれこれ言ってきてどうかなと思うのだけど、それは私にとってSexy Zoneが今も昔も5人いて初めて存在し成立するって感覚しかなかったからだったんです。3人でSexy Zoneと言われても、それは私が思うセクシーゾーンじゃないぞと。それをユニットとは思えないよ、と。だから、今の状態はあるべき姿が表面化したというそれだけでしかないから、特別あーだこーだ言うより、これが当たり前だよね!って納得しているというか。うんうんと頷き嬉しくそれを見たいと思える。単純にそれだけなのかなって。
それから、時間的内容的断絶にどう追いついていくかということ。これは完全に私側の問題。特に一昨年7月以降、いろんなもの、雑誌類やラジオを追えなくなってしまった。あまりにも見てられなくて。その分、取りこぼしてしまった情報が沢山ある。その間彼らそれぞれどんなことしたか、どんな過程を辿っていたか全然わからなくて、焦った。特にけんとくんに対して分からなさが大きくていまも正直焦ってる。風磨くんが年末の紅白リハ時のコメントでファンには時間が止まったような感覚を与えてしまったけどそれでも僕らは進んでたみたいなことを言っていて、時間が止まった感じ、まさにその通りだったからああそこから目を逸らしてしまったのかと後悔したと同時におたくの繊細な感覚をそこまで表現できる風磨くんをまた好きになってしまった。

そして、カラフルeyes。
草津ツアー、可愛かったけどカラオケのシーンがぎこちなくて観てて苦しかった。うーんあれはうまく言葉にできる気がしない、、、けど、とにかく見ててつらくなってしまうような瞬間を見てしまった気がして。複雑な気分になってしまった。いつかこれも言葉にできればいいな。

そうだ、風磨くんが薔薇日々で、可哀想な奴は誰一人いなかったと強く言ってくれることは途轍もなく嬉しかったです。この3年以上に渡る仕打ちのことを私は仕打ちと呼ぶしつらかったのも事実だけど、そこから復活しました涙涙の美談ですっていう風な売り方にはならないでほしい気持ちもずっとあって。それじゃあまるでその期間が安売りされるというか、その期間の『マイナスさ』を『必要なもの』として肯定することになってしまうから。だから、風磨くんがこう言ってくれたのは、めちゃくちゃ嬉しかった。マイナス性の肯定じゃなくて、はじめからプラスの影響を生む時期として肯定することで、逆にそんな美談にする隙を与えない、完璧だと思う。可哀想という言葉は、現状のマイナス要素を認めない限り出てこないから。たとえば2人が可哀想という認識は三人が一つのユニットであるという事実を認めた上ではじめて出るわけで。だからふうまくんのこの主張、本当に好きです。

いろいろインタビューも出て、テレビジョンカラーズなんてむしろそうちゃんが3人きつかっただろうなみたいなことを言っててこの子はどこまで優しく清いのだと感動しました。

ただの幸せと受け止められない自分の捻くれ具合に嫌になるけど、でも実際のところ幸せの密度はかなり高いし、ツアーでいいものがみられたらめちゃくちゃ幸せになれると思う。なんだかんだちょろい。ただ、いまの風磨くんの姿勢がどれだけ好きかという話ときっとすぐに忘れる葛藤の話を書いておきたかったのですっきりしました。よっしゃ寝よう!!!