星屑

思春期と精神状態について考えていて。というのも、私が今のおたく状況でそのくらいの年齢だったらもう病んで病んで病みまくって大変なことになっていただろうと。今だからこそなんとなく、理想と現実、自分と趣味、それぞれ線引きしたりっていうのが一応できている状態で。いやできてないんですけど、危機回避とかリスクを違うものに変換していくのがうまくなったなっていうのは思っていて。実際、あの頃はどうしてこうも何事も自分に向かってくる槍として、しかもそれを正面から受け止めて自分にぶっ刺していたのだろうかと。何か苦しいことがあるとずっと胸につかえたように悲しくて溢れるかなしいが止められなくて。そんなだったのになんで逆に今はこうなのだろうって。そりゃ経験とか生活範囲とか変化したものはたくさんあって。なんとなく、時間みたいに、自分の中で「自己」が占める割合というのは歳をとればとるほど減っていくのではないかと思って。自分が作り上げてる思考世界の中で、それが年々、経験や出会いによって広くなり、相対的に自己は拡散していってるのかもしれないなあと思いました。時間みたいに、というのは、歳をとるほど一年が早く感じるのは、自分の人生における「一年」という長さの割合が減っていくからだってことみたいに、ってことです。不思議だ。まったくもって不思議だ。


そしてバグダッドカフェを見た!今までで一番好きかも。
はじめは、この映像のこのカットはどういう意図で、とか結構考えながら観ていて。それもそれでとても面白かったんだけど、ジャスミンと娘ちゃんがブーメラン教えてもらうシーンの青空と、動きに着いて行ききらなくて走っていく残像だけが画面の隅に残るカットがなんだかとっても意味ある無意味に思えて、考えることをやめました。あーあの空の青。画面に収まりきらないはしゃぎ。その場面のエネルギーが豊富過ぎたからか、涙が出ました。ストーリー自体はなんでもないかもしれないけどとにかく好き。説明できないなあこの好きな感じ。ドイツ人だーって出てきてやけにドイツ語なまりきついなと思ったら逆にドイツ映画なんですね。発音だけでも知ってると外国映画見たときにはっとなってそれはそれで楽しいですね。今回借りたの、これとあとパーマネント野ばらとナタリーで、どれも雰囲気似たり寄ったりというか笑、趣味出てるなあ我ながら。私自身が結論を曖昧にしたがるぼんやりした人間なので、ぼんやりした雰囲気がとにかく好きです。ナタリーはラストがきれいで、野ばらは閉塞感とか昭和感が好きだった。でもダントツバグダッドカフェです。
野ばらといえば、めっちゃ話飛ぶけど最近銀閣寺近くにある洋館を利用したカフェに行ったのですが、本物の洋館でそれはもう味があって素晴らしくて。ただ、以前読んだ野ばらさんの「鱗姫」に出てくる叔母さんが住んでる洋館のモデルってここではないかと常々疑っていたところだったので、結構おどろおどろしいイメージがあって怖かったです。待ち合わせに先に着いちゃって、一人でお店に入ることになったのですがその時なんて特に。でも検索したところで特に明確な回答もなくひとりでもやっとしてたのでここに書き留めておく。さて、寝るか。